本日祖父が亡くなりました。
昨日まで元気に畑仕事をしていただけにまだ受け入れられません。
祖父はうつ病になって社会のレールから外れてしまった私にいつも真摯に寄り添ってくれていました。
急なことで心がぐちゃぐちゃなままですが、感情の整理のため・祖父のことを心に留め続けるためにもブログに書き記しておこうと思います。
おじいちゃんっ子だった私
たくさん甘やかしてくれた
子どもの頃は父も母も働いていたので家に帰るといつも祖父と祖母が面倒を見てくれました。
食いしん坊だった私はいつもおじいちゃんの所に行って、ミルクキャンディやおかき・さきイカに煎餅をもらって食べていました。
私が好んでよく食べていたのはさきイカと最中アイスでした。
私は小学生の頃にソフトボールをやっていました。
おじいちゃんは運動が上手でない私のプレイを毎週のように応援に来てくれてとても嬉しかったのを覚えています。
毎日バットで素振りしている時も「周りに気をつけなさいや~」と危なっかしい私にいつも声をかけてくれていました。
地域での活動も活発
また地域の活動にも活発な人で、小学生に工作を教えたり、陶芸教室をしたり、空き缶についているプルトップを集めて車いすを寄付したり、なんでもこなせる人でした。
小学校の授業でストロートンボやビュンビュンゴマ・風車の作り方を祖父が友達に教えているのを見てとても誇らしかった思い出です。
学校や幼稚園で教えるのには飽き足らず地域のお祭りで子どもたちと一緒に工作教室をしていました。
子どもからは大人気で材料の在庫を倍に増やしても午前中に材料がなくなることもしばしば。
一つ心残りがあるとすれば昨年からコロナのせいで祭りがなくなって、ストロートンボやビュンビュンゴマを子どもたちに届ける機会がなくなったこと。
新春の祭りに向けて作りかけの部品がたくさんあって、祖父は子どもたちに届けたかったであろうなぁと後悔していると思います。
いつも私の成長を見ていてくれていた
3歳の頃に一人で3km離れた病院に行って大騒ぎになった時も真っ先に見つけてくれたのはおじいちゃんでした。
どこに行くかを誰にも伝えていなかったのに何の手掛かりもなしに探し出したのは今でもすごいと思っています。
大学を合格した時も仕事で来れない父と母に代わって祖母と一緒に入学式を見に来てくれました。
一浪してようやく受かった大学ですが自分のことのように喜んでくれていました。
夜遅くまで毎日勉強する私をいつも気にかけてくれていました。
病気と闘いながらも長生きできた
また、祖父が働いていた時は根っからのヘビースモーカーでした。
それも祟ってガンや心筋梗塞喘息などをたくさんの難病を患いましたが、よい病院で治療を受けれたため80歳を超えても元気に活動を続けることができました。
たくさんの人に笑顔を届けるため、少しでも多くの人に喜んでもらえるように、神様に長い間生かしてもらえたのだと思います。
うつ病になってから
私が仕事でうつ病になって東京から家に帰ってきた時もいつも気にかけてくれました。
病気になって気分が安定しない時でもそっと見守ってくれて、気分が安定した時には冷たくあたっていたのも気にせず優しく接してくれました。
祖父は畑仕事をするのも好きな人でした。
庭の畑だけは飽き足らず近所の空き地を借りて野菜を作って、できた野菜を近所の人に配って歩いていました。
私が一人暮らしの時に食べていたオクラのおいしい食べ方を祖父に教えると、その年から毎年嬉しそうに作って持ってきてくれました。
祖父が入院した時に代わりに私と弟で畑仕事をした時も、笑顔で「ありがとう」と伝えてくれたのを今でもハッキリ覚えています。
私がうつ病になってできないことが増える一方でしたが、数少ないできたことの一つに「燻製」があります。
庭で私と弟が燻製しているのを傍目に「面白いことやってるな」と畑仕事をしながら興味深々でした。
燻製してできた料理を作って持っていくと「こんなにおいしいものを食べたことがない」と大喜び。
中でも卵とソーセージとチーズを燻製にしたのがお気に入りでたくさん食べてくれました。
また少し落ち着いたら好物の燻製をしてお供え物にしたいと思います。
また、うつ病ブログを書き始めた時も、「こんだけ良い文章を書けるなら作家さんになれるんじゃないか」と褒めてくれていました。
覚悟をしていなかったわけではない
祖父も87歳とかなり高齢だったのでいつかこの日が来るとは思っていました。
それでもいざ急に家族が亡くなると動揺は隠せません。
まだ自分の中で祖父が亡くなったことを受け入れられないでいます。
そのため逆にこれだけ祖父について思い出を書けたのかもしれません。
今日の時点ではまだ心の整理ができていません。
明日以降葬儀やお通夜などで徐々に実感がわいてくると思います。
祖父を亡くした心の穴は大きいです。
うつ病に負けないように陰から応援してくれた祖父に恥じないように頑張って生きていきたいと思います。