おじいちゃんが背中を押してくれた3つのこと

うつ病体験談

おじいちゃんが事故で亡くなってから一か月以上が経ちました。

突然の出来事だったので実感があまりわきませんでしたが、日が経つにつれて徐々に祖父を失った大きさを感じるようになりました。

悲しいことではありましたが、このことがきっかけでたくさん出来ることが増えました。

「家族を支えないといけない」「みんなでこの危機を乗り越えないといけない」と思った瞬間、これまでうつ病で常に霧がかかったような状態だった私の脳が一気にさえわたっていったのです。

今まで当たり前にできたことができなくなったうつ病。
その当たり前を取り戻すためにおじいちゃんが背中をそっと押してくれました。

おじいちゃんに勇気をもらえてできるようになったことを3つお話したいと思います。

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父と仲直りできたこと

まず一つ目は3年以上話をしていなかった父と仲直りできたこと。

うつ病にかかってすごく落ち込んでいた時期に心無い言葉をかけられて以来、父の話し声や咳の音を聞くとイライラが込み上げるようになったので距離をとって生活をしていました。

薬があっていなかったのもあるけど、一番しんどい時に寄り添ってくれなかったのがつらく感じていました。


事故の一報を聞いたときに父と向き合う決心をしました。

数年ぶりにあった父は焦燥しきっていて老けて見えました。実の父親を突然亡くしたので当然のことだと思います。

「悲しいことがあったけど家族みんなで踏ん張っていこう」といったことを話そうと思って会いに行っただけに、父に「祖父のことよりも私のことが一番大事なんや」と言われて驚きました。

父は祖父のことをそっちのけで、これまでの不手際で私をひどく傷つけてしまったことをひたすら謝ってくれました。
私がうつ病で苦しみながらもブログを始めたり資格の勉強をしていることを褒めてくれました。
病気で大変な時も寄り添うことができずに迷惑かけたなとも言ってくれました。


父を元気づけようと会いに行ったつもりが逆に元気をもらって帰ってくる結果に。

おかげで父ともしっかりと話ができてわだかまりを解くことができました。

3年以上父と面と向かって会ってこなかったけどいつも私のことを気にかけて支えてくれていたのを実感しました。

友達と会って話ができたこと

二つ目はうつ病になってから連絡をとれていなかった友達と会って話をできたこと。

友達と会わなくなったのは、病気になってから体調が安定しなかったり体力がなくなって人と会うのがしんどくなっていったからです。
でも本音としては、仕事やリアルが充実しているみんなが明るすぎて、何もできていない自分が合うのは恥ずかしいと思ったのが真の理由です。

LINEの返信もできなくなりSNSにコメントをもらってもいいねをすることしかできませんでした。


うつ病を機にほとんど途切れてしまった人間関係ですが、祖父の葬儀に参列してくれた友人とゆっくり話をしました。

祖父は地域活動に活発な方で小学生に昔のおもちゃを教えたりボランティア活動をしていたので、同級生でも祖父のことを知っている人は多く、事故の知らせを聞いて葬儀に駆けつけてくれました。


友人と話をする中で、他の人も十人十色しんどいことを経験していて大変なのは自分だけじゃないと勇気づけられたり、葬儀に来れなかった友人も私と会いたいと教えてくれて少し元気が出ました。

落ち着いたらご飯でも食べに行こうとも言ってくれて、切れかけていた人との縁を祖父がまたつなぎ直してくれました。

コミュニケーションがとれるようになったこと

三つ目は人と会って普通に話をしてコミュニケーションをとれるようになったことです。

大学時代はインターンにバンバン参加したり、多くの社会人の方に会って話を聞いたり、地元のおっちゃんおばちゃんに飲みに連れて行ってもらったりと、割とコミュニケーション能力はあった方だと自負しておりました。

でも会社で上司にパワハラを受けるようになってからは人と会うのが怖くなり、目を見て話をすることができなくなりました。
うつ病になって一番ショックだったのが、自分の一番の取柄だったコミュニケーション能力がなくなったといっても過言ではありません。

常に下を向いてぶつぶつ話をし子供の時から懇意にしてもらっていたお隣さんですら会話できなくなってました。


そんな私が葬儀の時は大きく変われました。

参席頂いた方に対しきちんと挨拶もでき、変に話題を途切れさせることもなく普通に会話ができました。

物心ついてから1~2回しか会ったことのない親戚の方とも話をしました。


そして祖父が働いていた会社の元部下である方と話をできたことで、自身が確信に変わりました。

祖父の仕事っぷりについて話をしたかと思えば、取引相手の企業さんを海外や国内の観光地に添乗員として連れて行ったこと、休日は別荘で朝から晩まで麻雀をしていたこと、生まれてくる私たち孫のことを思ってヘビースモーカーだった祖父がタバコをやめたこと、ゴルフや夜の街に遊びに出かけていっていたことなどなど。

たくさん私の知らないおじいちゃんについて教えてくれました。
私が知っているおじいちゃんは怒ったことがないくらい、笑顔が似合う方だったので。


「おじいちゃんに始まる私の家系の人はみんな優しい人が多いから細かいことに気にかけてくれるんやな。親族が集まる場で祖父の部下だったというだけの人に声をかけてくれたのが嬉しかった。」

祖父の部下にかけてくれたもらったこの言葉には本当感謝しかない。
コミュニケーションの不安が一瞬で消え去ったから。


最初は祖父の過去を知りたいと思っただけやのに、自分の良い所を褒めてもらえて自信にもつながったのはまさに青天の霹靂。自分の強みを再認識させてもらえてとても良い経験になりました。

おじいちゃんがくれた3つのこと


うつ病になってから大きな一歩を踏み出せないでいた私ですが、背中を大きく押してくれたのが大好きなおじいちゃんでした。

「父と仲直りできたこと」「友達と会って話をできたこと」「コミュニケーションがとれるようになったこと」、うつ病になってから失ったものを一気に取り戻すことができました。

突然の事故で悲しいことではありましたが、おじいちゃんが前に進む勇気をくれたんだと考えて頑張って行きたいと思います。


ひとまずお通夜や葬儀などでバタバタしていたのが色々終わって、落ち着いて振り返ることができるようになったので今一度当時のことをまとめることができてよかったです。

四十九日までにはこの日記を書き終えたいと思っていたので。


また、一旦ブログでおじいちゃんのことについて書くのはこれで一区切りにしようかと思います。

悲しみに打ちひしがれるのではなく、おじいちゃんが残して来たもの・積み上げてきたものを踏まえながら、私たち家族が進んでいくことを祖父が望んでいると思うので。

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